小長谷 達郎
大正時代に大流行し世界で1億人もの死者を出したスペイン風邪——。その原因となった強毒性インフルエンザは、流行当初、弱い毒性しかもっていなかった。実は、世界を揺るがす強毒性のウィルスは、弱毒性のウィルスから突然進化することが少なくない。そして現在、この進化を制御することで、感染症の流行を未然に防ぐ試みが研究されている。進化生物学を医学や衛生学に応用したダーウィン医学だ。
そもそもウィルスは、人などの生きている宿主に感染していないと増殖できない。宿主が死ねば、中にいるウィルスも行き場を失って分解されてしまうためだ。そのため、ウィルスは、毒性を発揮して人体の防衛反応である咳や鼻水、下痢を意図的に引き起こし、今の宿主が何かの理由で死ぬ前に新しい宿主にうつるという生き方をしている。
しかし、宿主を殺すほど毒性が強いと、次の宿主にうつる前に今の宿主が死んでしまうので、ウィルスも行き場を失ってしまう。それなのに、どうして弱毒性のウィルスが強毒性に進化するのだろうか?
ダーウィン医学によれば、強毒性が進化する特定の環境条件があるのだという。人口密度が高い場合や、複数の感染症が流行している場合、感染症と関係のない理由による死者が多い場合がそれにあたる。スペイン風邪の場合、当時行われていた第一次世界大戦の前線では、人口密度が高く、衛生状態も悪く、戦死者も多かった。まさに強毒性が進化する条件が満たされていたのだ。この理論はまだ完成していないが、強毒性の進化しやすい環境条件がわかれば、予防策を考えることができる。その時こそ、私たちは致死率の高い感染症から解放されるかもしれないのだ。